iittala

イッタラとカイ・フランク

アラビアとイッタラの旅 - 後編 -

スオミ〈Suomi〉に愛される、ふたつの器。それは100年以上にも渡り、「美しい暮らし」の答えを私たちにしめしてくれたもの。
陶磁器ブランドとして誕生したアラビア〈ARABIA〉と、小さな村のガラス工場からはじまったイッタラ〈iittala〉

カイ・フランク〈Kaj Franck〉のティーマ〈Teema〉と、イッタラのガラスの旅。

2013 Photo & Text_Scandinavian fika.


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iittala

イッタラ村とガラスの丘

1881年、ガラス吹きのマイスター、ピーター・マグナス・アブラハムッソンによってフィンランドの南部の小さな村にガラス工場が建てられました。「特別の輝きを持つ」として人びとを魅了したガラスの工場は、村の名前をとってイッタラ〈iittala〉と名付けられました。
のちにティーモ・サルパネーヴァ〈Timo Sarpaneva〉がデザインした「iittala」のロゴマークの「i」の小文字の頭文字は、ガラス職人がガラスを吹く際に使うパイプと、その先にあるガラスの玉をあらわしているのだとか。 アアルトベースやアイノ・アアルト、カイ・フランクのティーマなど数々の名作を生み出し、フィンランドのテーブルウェア界を支えるブランドとなったイッタラは、2003年よりアラビア、ロールストランド、ハックマン、ボダノバなどの傘下のテーブルウェアを「イッタラ」として統合。現在はすべてイッタラ内のブランドとして生産されています。
約130年前に創業したイッタラ村(現ハメーンリンナ市)のガラス工場は今も稼働しています。工場の周りには「ガラスの丘」呼ばれる工房村ラシマキ〈Lasimäki〉があり、工場見学もできるのだとか。イッタラの聖地ともいえるその村にも、いつか訪れたいものです。

Aino Aalto
Tapio Wirkkala|Niva
Oiva Toikka|Kastehelmi

アアルトベース

1937年のパリ万博で一際輝きを放っていたガラスのオブジェ。フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト〈Alvar Aalto〉が描いたドローイングをもとに、イッタラの工場で製作されたフラワーベース。美しい波のうねりのようなカタチは、万博で大きな反響を呼びました。20世紀のシンボルとまで称された名品には、初めこんな名前が付けられていたといいます。
"Eskimoerinden Skinnbuxa(エスキモーの女性の革のズボン)"
ファクトリーツアーでそのエピソードを聞いた時はビックリしました!今ではアアルトベース〈Aalto vase〉と呼ばれる美しいガラスの花瓶は、アアルトが設計したヘルシンキのレストラン サヴォイ〈Ravintola Savoy〉で最初に使われたことから、別名「サヴォイベース」と呼ばれていたことは知っていました。でも、まさか「エスキモーの女性の革のズボン」という名前がついていたとは!
アアルトがあのカタチを何をイメージして描いたかは謎です。本当のことは誰にもわからないのだとか。ただ、フィンランドの湖や海岸線からインスピレーションを受けたという説が強いようです。
今も工場でマウスブローでつくられているため、ガラスの厚みや色の濃淡に一つ一つ個性があるというアアルトベース。部屋の窓辺に飾ったウォーターグリーンのアアルトベースを見ていると、あの情景がよみがえってきます。私にとってそれは、美しいフィンランドの「湖」なのです。

Alvar Aalto|Aalto vase

カイ・フランク

「フィンランドデザインの良心」と称されたカイ・フランク〈Kaj Franck〉。キルタ〈kilta〉、ティーマ〈Teema〉、カルティオ〈Kartio〉……カイ・フランクのデザインした器は、クラシックで保守的だったフィンランドのテーブルウェア界を一変させました。
1911年にヴィーブリ(現ロシア領)で生まれたカイ・フランクは、ヘルシンキの美術工芸大学で家具デザインを学んだあと、1938年にテキスタイルデザイナーに。1945年よりアラビア〈ARABIA〉に入社し、翌1946年からアートディレクターに就任しました。
第2次世界大戦で敗戦したフィンランド。戦後、生活物資が乏しい中で「いかに清潔に豊かに美しく暮らすか」を模索したカイ・フランクは、1953年、それまでの常識を覆すような器を発表します。過剰な装飾を一切なくし、機能を重視したシンプルなデザインを追求。安価で、長く使え、狭いスペースでも積み重ねて収納できるもの。使いやすさと美しさを兼ね備えたキルタ〈kilta〉は、その普遍的なデザインでフィンランド人のライフスタイルを大きく変えていったのです。

2013年のファクトリーツアーでは、アテネの朝〈Ateenan aamu〉という名のガラスのオブジェが展示されていました。ギリシャが好きだったというカイ・フランク。この作品はガラス飾りが風に揺れると、アテネの朝の教会の鐘のような澄んだ音色を奏でます。
ギリシャを旅し、アテネの朝に鐘の音で目覚めるカイ・フランクを思い浮かべると、ほんの少し、「フィンランドの良心」と呼ばれる彼の穏やかな一面が見えた気がしました。

Kaj Franck|Ateenan aamu

キルタからティーマへ

1953年に誕生したキルタ〈kilta〉シリーズはフィンランドだけではなく、国際的にも大きな評価を得ることになりました。しかし、フィンランドの多くの家庭で愛されてきたキルタは、1974年に生産中止となります。これは生産の技術的な問題からで、人びとはそれまでもこれからも、ずっとキルタがある食卓を求めていたのです。
そして1981年、カイ・フランクは廃盤になったキルタをリプロダクトし、新製品を発表します。素材を陶器からよりモダンな磁器に変え、食洗機や電子レンジに対応。時代の生活に見合った器としてフィンランドの食卓に帰ってきた新しいキルタは、ティーマ〈Teema〉と名付けられました。
「うちは毎朝、ティーマのプレートでパンを食べ、ティーマのボウルでスープを飲んでいます」とツアーガイドのクリスティーナさんに話したら、「フィンランドの家庭もどこも同じ。みんなティーマです」と返ってきました。

ティーマのミルクピッチャー(ビネガーボトル)の話も面白かった。フィンランドでは厳しい冬を過ごすため、家は二重窓になっているそうです。冷蔵庫がなかった頃は、その冷たい窓と窓の間にミルクを保存できるよう、ボトル型のピッチャーをデザインしたのだとか。

1956年に初めて日本を訪れたカイ・フランクは、日本人の生活の中から生まれた民藝品に深い感銘を受けたといいます。以後来日のたびに日本各地をまわり、民藝のデザイン指導も行っていたそうです。
あの森正洋や柳宗理にも大きな影響を与えた人物、カイ・フランク。彼のデザインの美学が、日本の民藝運動の父、柳宗悦の「用の美」と重なってきます。

ARABIA

Helsinki|Finland

イッタラ&アラビアデザインセンター

アクセス
2016年にアラビア工場は閉鎖し、
現在はイッタラ&アラビアデザインセンターに。 
ヘルシンキ中央駅から
6番トラムに乗って約30分。
〈Arabiankatu〉駅で下車。

iittala
www.iittala.com

ITTALA & ARABIA DESIGN CENTRE
www.designcentrehelsinki.com

Suomenlinna 1

海の上の要塞、
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世界遺産 スオメンリンナ島


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