Maija Isola
マイヤ・イソラのウニッコ
マリメッコとマイヤ・イソラ - 後編 -
1951年の誕生から60年以上にわたり、日々の暮らしを彩り、世界中の人びとを魅了してきたマリメッコ〈marimekko〉
マリメッコの伝説のデザイナー、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉 は、1964年、マリメッコで禁止されていた「花」をモチーフにしたデザインを発表しました。大きなケシの花(ポピー)を描いたウニッコ〈Unikko〉。
このデザインが、その後のマリメッコにとってどのような存在になるのか、その時は誰もわかりませんでした。
「花」を愛し、「自由」を求めて世界中を旅したマイヤ・イソラ。
1991年、倒産寸前だったマリメッコを救い、世界に羽ばたくように花ひらいたのはマイヤ・イソラが描いた、あの大きな赤いケシの花でした。
2013 Text_Scandinavian fika.

©︎ marimekko
Maija Isola
ケシの花、ウニッコ
マリメッコ伝説のデザイナー、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉は、1927年にヘルシンキから60キロほど離れたアロランミという美しい村に生まれました。自然豊かな村で2人の姉とのびのび遊んで過ごした幼少時代を経て、マイヤは19 歳のとき、娘のクリスティーナを産み、若くして母になりました。
その後、ヘルシンキへ上京し、芸術大学へ進学。織物は苦手で、イラストや絵を描くことの方が楽しかったとか。
1948年、初めて海外を旅したオスロで、マイヤは美術館の古い器や壷に心を奪われました。それをモチーフに「Amfora」というプリントファブリックを作り、母校のコンテストに参加。その作品が、のちにマリメッコの創業者となるアルミ・ラティアの目に留まったのです。
アルミ、そして〈マリメッコ〉との運命の出会いにより、マイヤはテキスタイルデザイナーとして40年にわたり500以上もの作品を残してきました。その多彩なパターンを生み出すインスピレーションの源は、フォークアート、自然、数えきれないほどの旅だったといいます。
「何を見ても、プリントデザインに見えてしまうの。映画を見ても。雪や氷を見ても。お皿を洗っている時でさえ。でも、いちばん明らかなのは、恋をしているとき」
アルミ・ラティアはマリメッコで、「花」をモチーフにしたプリントデザインを禁止していました。それは、プリントの花は、自然界の花には決して叶わないという理由からでした。でも、マイヤは自分を意思を貫き、子供の頃から大好きな、たくさんの花を描いたのです。
1964年に、ケシの花(ポピー)をモチーフにして生まれたウニッコ〈Unikko〉。このデザインが、その後のマリメッコにとってどのような存在になるのか、その時は誰もわかりませんでした。マイヤ・イソラにも、アルミ・ラティアにも。大きく花咲くウニッコが、その後どうなったか知っているのは、今を生きる私たちだけなのです。

1964 Unikko_©︎ marimekko

マイヤ・イソラ 自由の旅
ウニッコ〈Unikko〉を生んだマイヤ・イソラは自由を求めてよく旅に出ました。
「最も想像力がかき立てられるのは、自由である時。旅をしている時」
マイヤは、パリ、アルジェリア、アメリカなど世界中を旅しながら仕事を続けました。娘のクリスティーナは、旅先から届くイラスト入りの母の手紙に胸をときめかせていたといいます。休むことなく創作活動を続ける母の背中を見て育ったクリスティーナは、16歳になるとマイヤの仕事の手伝いをするようになり、1968年からはマイヤ・イソラとクリスティーナ・イソラ〈Kristina Isola〉の2人組デザイナーとして、作品に名前が入るようになりました。
いつも自由であることを望んだマイヤ。それは彼女のテーマであり、生き方だったのです。
「最も大切な自由とは、失敗が許される自由」とマイヤは語ります。
「失敗して、すべてを台無しにしてしまえるほどの自由」
1987年、マイヤはマリメッコを引退。カウニスマキの森の中で、ゆったりと平穏な時を過ごしたといいます。その頃にはもう、マイヤのデザインも、ほとんど忘れ去られていました。

1956 Kivet_©︎ marimekko

1964 Maalaisruusu_©︎ marimekko

1964 Kaivo_©︎ marimekko

1964 Unikko_©︎ marimekko
1991年、倒産寸前だったマリメッコの新オーナーに就任したキルスティ・パーッカネンが会社を立て直すと、マリメッコには以前のような活気が戻ってきました。パーッカネンがマリメッコを救ったことは、フィンランドそのものを救ったのと同じことでした。それほどまでにマリメッコは、フィンランドの人びとにとって大切な存在だったのです。
マリメッコのもうひとつのシンボルといってもいいウニッコは、2000年移行、再びブームに火がつき、世界中の女性をとりこにしました。バッグや傘、スマホケース、トラムや飛行機まで、あらゆるプロダクトにデザインされました。2011年には、なんとヘルシンキの上空をウニッコの熱気球が舞ったのです!


