北欧フィーカ|フィンランド・ヘルシンキの旅|アルヴァ・アアルトとアイノ・アアルト。ふたりのアアルトを訪ねて。アアルト自邸へ。|Scandinavian fika.

デンマーク・スウェーデン・フィンランド、北欧デザインの旅。

アルヴァ・アアルトとアイノ・アアルト。ふたりのアアルトを訪ねて。

ヘルシンキ中央駅から北西へ5km。その家は、緑豊かなムンキニエミの閑静な住宅地にあります。フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)が妻アイノ・アアルト(Aino Aalto)と共に1936年に設計し、以後40年に渡り暮らした自邸。アアルトハウス。
良き妻であり、建築家であり、優れたデザイナーでもあったアイノは、アルヴァにとって人生を分かち合うことのできる最良のパートナーでした。アルヴァ・アアルトなくしてはフィンランドの発展はなかったように、アイノ・アアルトなくしては、アアルト自邸もマイレア邸も生まれてはいなかったのです。

この世でいちばん素晴らしい建築をさがす旅。ふたりのアアルトを訪ねて。

□写真左/ アアルト夫妻が新婚旅行のイタリアで購入したというダイニングの木彫の椅子


The Aalto House

アアルト自邸へ

ヘルシンキ中央駅から4・4Tトラムに乗って約20分。終点の2つ前 Laajalahden aukio 駅で下車し、10分ほど歩くと、ムンキニエミ(Munkkiniemi)の閑静な住宅地にひっそりとたたずむアアルト自邸(The Aalto House)が見えてきます。 白ペンキのレンガに、ダークブラウンの木板張りの2層の外壁。間伐材などの安価な木材を使って建てられた典型的なフィンランドの家。とても北欧を代表する巨匠の邸宅とは思えないほどこじんまりしているけれど、そこが何より魅力的。アアルトのような巨匠でさえ、「暮らし」という部分で私たちとつながっているような気持ちになります。何度も写真で見た、憧れのアアルトハウスの木の扉の前に立つと、当然ドアが開いて、アアルト夫妻が「ようこそ」と出迎えてくれるような不思議な感じがしました。
アアルト自邸のガイドツアー(英語/€17)は13:00から夕方まで毎時ちょうど発の1時間ごとに開催されています。所要時間は約40分。ガイドツアーのあと、写真撮影や自由見学ができます。個人で見学する場合は予約は不要。
今回私はあえて最寄りの Laajalahden aukio 駅では降りず、萩原健太郎さんが『北欧デザインの巨人たち あしあとをたどって。』の中で教えてくれた穏やかで入り江の景色が見たくて、トラムに揺られて終点 Saunalahdentie まで行きました。ムンキニエミののどかな入り江からでもそう遠くなく、トラムのレールを戻りながら、てくてく歩いて15分くらい。アアルトもきっと、この道を歩いたことでしょう。

2013. update.

Aalto

波のように、水のように

「アアルト(Aalto)」とは、フィンランド語で「波」をあらわす言葉。アルヴァ・アアルトがデザインした美しいうねりや曲線美から、フィンランドの「波」や「水の流れ」を感じとることができます。そして、湖に小石を投げて広がった「水の波紋」のように美しい器をデザインしたのが、アルヴァの最初の妻アイノ・アアルト(Aino Aalto)
イッタラのロングセラーとなったアイノ・アアルトのガラスの器は、1936年にミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。彼女のモダンで普遍的なデザインは、カイ・フランクをはじめとする多くのフィンランド人デザイナーに影響を与えたといいます。
1933年に2人の子供を連れて、トゥルクから首都ヘルシンキへ移り住んだアアルト夫妻が、ふたりで設計し、1936年につくり上げた理想の家アアルトハウス。中庭の広がるリビングには、アイノが好きだったというゼブラ柄のファブリックのタンクチェア(アームチェア400)とソファが並び、ポール・ヘニングセン(Poul Henningsen)がデザインしたピアノの上には、彼女の写真が飾られています。
美しい中庭から差し込むフィンランドのやわらかな光のように、ふたりの家は今も色あせることなく輝いています。

2013. update.

Studio & artek

スタジオとアルテック

1933年にヴィープリ図書館(Library Viipuri)設計のため、仕事の拠点をヘルシンキのムンキニエミへ移したアアルト夫妻は、1935年にマイレ・グリクセンとニルス・グスタフ・ハールら4人でアルテック(artek)を創設。アアルトレッグと呼ばれる3本の曲げ木でつくられたアルテックの不朽の名作「スツール60」は、もともとヴィープリ図書館で使用するために作られたのもの。
翌1936年に完成したアアルト自邸は上から見るとL字形の建物になっていて、中央のリビングルームの西側には2層吹き抜けのスタジオがあります。リビングとスタジオの間仕切りには、大きな木製のスライドドア。日本を訪れたことはないというアアルトですが、障子やふすまなどの日本の文化にインスピレーションを受けていたように思えます。スタッフも家族の一員と考えたアアルトは、引き戸を用いることで仕事場と生活の場の敷居をなくし、空間につながりを持たせたのです。
それから、スタジオの屋根の形がバタフライ状(V字型)になっているのも面白い。これは北西側のハイサイドの窓から入る北欧の低く傾いた太陽の光を、室内にくまなく反射させるように考えられているのだとか。スタッフが図面に向かって集中するために、あえて低い窓を設けなかったというスタジオ。そこには、雪で白一色となる薄暗い冬の間は、閉ざされた環境の方が明るく温かく人びとを包容するという、北欧特有の感覚があるからだそうです。

2013. update.

The white desk

白い机

1898年、フィンランド中西部の小さな村クオルタネで生まれたアルヴァ・アアルト。父は測量技師で、幼い頃のアアルトはよく、父のオフィスにある大きな白い机で遊んでいたといいます。自宅には常に10人前後の測量技師見習い生とアシスタントが住み込みで働いていて、アアルトは活気ある仕事場や父の働く姿を身近で見て育ちました。そして、森林地図を広げるための大きな机に上にあったコンパスや縮尺計で、アアルトは幼い頃から絵を描いていたといいます。絵のうまかった少年が、画家ではなく建築家を目指したのは、父親の影響が大きかったから。「自然の有機的な地形を把握すること」「自然との調和を心がけること」アアルトが父の白い机の上で学んだことは計り知れません。
アアルト自邸の1階スタジオのコーナースペースには、アアルトが仕事をしていたという机がそのまま残されています。それは、やはり白い机であり、北欧モダンのパイオニアとして偉大な建築家となったあとも、アアルトは時折ここで父の姿を見、大きな白い机のことを思い出していたのかもしれません。

2013. update.

The library

アルヴァの書斎

20世紀を代表するモダニズム建築家アルヴァ・アアルトの存在は、フィンランドの人びとにとって、日本人の私たちには想像がつかないほど大きなものなのです。それは、ユーロ導入前の50マルカ紙幣に肖像画が描かれていたほど。
でも、私たちの知る偉大なアアルトとは違う一面もあったそうです。
アルヴァ・アアルトは根っからのアーティストで、おしゃべりで、型破りなボヘミアン。才能に恵まれていたけれど、お金のことはまったく無頓着。のちにアアルトの妻となるアイノ・マルシオは、ヘルシンキ工科大学在学中に出会ったアアルトのことを知っているかと尋ねられ、「ああ、あのならず者ね」と答えたというエピソードが残っています。
自邸の1階西側のスタジオの奥には小さな書斎があります。気になるのは、壁に架けられた小さなはしご。実ははしごの上には隠し扉があって、2階のルーフテラスへと続いています。アアルトは仕事に煮詰まったとき、苦手な客が来ると、なんと、このはしごを上って慌てて2階に隠れたのだそうです!

2013. update.

Hall with fireplace

暖炉に火をくべて

自邸の2階への階段を上がると、そこはプライベートな家族の空間。リビングルームの暖炉を囲むように、夫婦の寝室と子供部屋、ゲストルーム、バスルーム、ルーフテラスがあります。これは温かい暖炉の前に、家族や親しいゲストが自然と集まってくるように設計されています。
冬は暖炉に火をくべて、体をあたために家族みんなが集まってくる。そこには、ごくごくあたりまえだけれど、つい忘れてしまう「暮らしの中心」があります。アアルトが追い求めたデザインとは、人の生活が中心にあるべき建築。自然と調和し、愛するものとつつましく暮らすこと。アアルトハウスに身を置くと、確かに、人を包み込むような、あたたかな何かが伝わってくるのです。
デザインとは、見た目やカタチではない。住み良い家とは、広さや間取りでない。本当に大事なことは「暮らしの中心」がどこにあるか、ということ。そして、ぬくもりがそばにある、ということ。アアルトはいつだってシンプルに、それを教えてくれます。

2013. update.

Dear Aino

小さなアイノ

「アアルトが燃え上がる炎なら、アイノは穏やかな水のようだった」
1894年、ヘルシンキに生まれたアイノ・マルシオ(アイノ・アアルト)は、1915年にヘルシンキ工科大学に入学。大学卒業後、1923年にユヴァスキュラに移り、アルヴァ・アアルトのオフィスで働きはじめたことがきっかけで、ふたりは恋に落ちました。翌1924年に結婚。2人の子供に恵まれました。
社交的で陽気な夫アルヴァとは対照的に、妻アイノは平和的で穏やかな暮らしを好む、フィンランド人らしい女性でした。母であり妻であり、建築家で経営者で優れたデザイナーでもあったアイノ。おしゃれにも気を使い、自宅ではよくピアノを弾いていたそうです。互いの足りない部分を埋め合うように、高め合うことができる理想の妻アイノを、アルヴァは心から愛していたといいます。
友人や知人でさえ手紙の返事を書くことがなかったという筆無精のアルヴァが、出張先からアイノに送った手紙。「愛しい小さなアイノへ」とつづられ手紙は、決して小柄ではなかったアイノへの彼らしい愛情表現でした。
「愛しい、愛しい、小さなアイノ。この世で私たちの家族ほどすばらしいものはないと思う。私たちのあいだには大げさなこともなければ、もろさも全くない。それが私には嬉しい。万事が自然で明快なのは、まるでこの世でいちばんすばらしい建築のようだ。君のおかげだ」

2013. update.

Garden & Villa Mairea

中庭とマイレア邸

花よりも樹々や緑を愛したというアイノ。ヘルシンキ工科大学在学中に、造園家のベント・シャリーンのもとで働きながら植物やランドスケープのことを学んだアイノは、松やスモモ、りんごの木など、フィンランドの自然を感じさせる庭をデザインし、部屋の中にも緑を取り入れることを大切にしてきました。「庭も家のデザインの一部」と語るアルヴァは、家の顔が中庭を向くように設計し、アイノは自分たち家の庭に松やりんごや桜の木を植えたそうです。
アアルト夫妻の最高傑作ともいわれるマイレア邸(Villa Mairea)は、アルテック共同設立者のマイレとハールのグリクセン夫妻のためにつくられた特別な豪邸。マイレア邸のグリーンの庭をデザインしたのも、屋内に植物を飾ったのもアイノだったそうです。
アイノがフィンランドの樹々を愛でるように、季節のうつろいともに色づく中庭を、世界中の人びとが愛し、毎日のようにアアルトハウスを訪れます。それは理想の景色であり、夢の中庭なのです。アアルト夫妻がつくり、育んだのは、自分たちの家と庭だけではありません。木々から枝葉が伸びるように、世界中の人びとの、世界中の庭に種をまいたのです。

2013. update.

Honeymoon in Italy

愛おしきイタリア

アアルト夫妻は1924年に結婚。新婚旅行は1ヶ月半の間、イタリアを旅しました。ふたりは地中海の温暖な気候の中で、イタリアの文化や様々な様式の建築に触れ、強いインパクトを受けたといいます。
「私はいつも、心の中でイタリアを旅する」とアルヴァは語り、最も印象に残ったトスカーナ地方のように「ヴァスキュラを北のフィレンツェにしたい」と野心を燃やしたそうです。
自邸のダイニングにある木彫の椅子は新婚旅行のイタリアで購入したもの。イタリア行きを決めたのは、アイノの強いリクエストがあったからだといいます。
1941年、初代社長ハールの後を継いで、アイノはアルテックの社長に就任。戦時中もアルテックの工場は休むことなく稼働し続け、戦後はさらに業務を拡大していきました。類いまれな才能を開花させていったアイノは、1949年に病に倒れ、ムンキニエミの自邸で永遠の眠りにつきます。まだ54歳の若さでした。清楚で、純真で、彼女が愛した淡い色彩や白がよく似合っていたというアイノ。悲しみに暮れたアルヴァは、ふたりの思い出のつまった地中海へ向かいました。もう一度、イタリアを旅したのです。あの愛おしきイタリアを。

アルヴァ・アアルトとアイノのロマンスは、和田菜穂子さんの『北欧モダンハウス 建築家が愛した自邸と別荘』 の中で描かれています。とても面白い本なので、北欧デザインや建築に興味がある方はぜひ読んでみてください!

2013. update.

アアルト財団

Alvar Aalto Foundation

アアルト自邸やアトリエ。写真やドローイングなども紹介しているアアルト財団のサイト。
http://www.alvaraalto.fi

アルテック

artek

アルヴァ・アアルトが妻アイノらと共に創業した北欧を代表する家具ブランド、アルテック。
http://www.artek.fi

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