北欧フィーカ|フィンランド・ヘルシンキの旅|フィンランドが恋した小さなドレス。マリメッコとマイヤ・イソラ。|Scandinavian fika.

デンマーク・スウェーデン・フィンランド、北欧デザインの旅。

フィンランドが恋した小さなドレス。マリメッコとマイヤ・イソラ。

1951年の誕生から60年以上にわたり、日々の暮らしを彩り、世界中の人びとを魅了してきたマリメッコ(marimekko)。うっとりするような鮮やかな色彩と、大胆で個性的なパターン。縞模様や格子模様、水玉や石ころ、色の重なり、線の重なり……。

マリメッコの創業者アルミ・ラティアは「プリントの図柄を描くのではなく、布いっぱいに好きな絵を自由に描いてほしい」とデザイナーたちに伝えました。でも、ひとつだけ約束があったのです。
「ファブリックに決して"花"を描いていけません。花はそのままで十分美しく、装飾モチーフとしての花は、野に咲く花には叶わないのですから」
ところが、ひとりの若手デザイナーがアルミの言いつけを破り、布いっぱいにケシの花を描いてきました。

彼女の名は、マイヤ・イソラ(Maija Isola)───
伝説のデザイナーとマリメッコの物語は、ここからはじまります。

□写真左/ マリメッコのプリンティング工場
 ▶ YouTube / Marimekko fabric printing  Photo by「marimekko blog」

marimekko 1951

マリメッコ誕生

▶ YouTube / Marimekko 60th Anniversary Show
1951年5月、レストラン・カラスタヤトルッパで、記念すべき初のファッションショーが開かれました。ヘルシンキの小さなプリント会社 Printex(プリンテックス)の社長アルミ・ラティア(Armi Ratia)は夫ヴィルヨとともに、カラフルで斬新なデザインのPrintexのプリントを、どのように使ったらよいのか模索していました。そうして生地を洋服に仕立て、コレクションを作り、人前でお披露目することを思いついたのです。
ファッションショーは大成功!新しいテキスタイルから作られたシックで美しいドレスに、観客はくぎづけになりました。まるで魔法がかかったように、うっとりと。モデルが着ていた服は、その日のうちに売り切れてしまったといいます。
数日後、アルミとヴィルヨは、世界中の誰もが発音しやすい「小さなマリーのドレス」という名のブランドを設立しました。みんなの知っている marimekko(マリメッコ)の誕生です。
ショーのドレスのプリントを担当した若手デザイナーの中には、あのマイヤ・イソラの名前もあったといいます。
当時のファッションブティックでは高価なシフォンやビロード、ウールなどを使って洋服がデザインされることが多かった時代、モデルたちが安価なコットンのドレスを身にまとっていたことも観客には新鮮に映りました。フィンランドファッションに春の息吹のような、新しい風が吹いたのです。ここが、マリメッコの原点。すべての物語のはじまりでした。

みなさんに観てほしいのは、マリメッコ誕生から60年後の2011年にヘルシンキで開催された、マリメッコ60周年アニバーサリーショー(上の動画)。エスプラナーディ公園のランウェイにひらひらと揺らめく花、アイノ-マイヤ・メッツォラ(Aino-Maija Metsola )のクッカメリ(Kukkameri)のドレスが素敵です。

Photo by「marimekko blog」

2013. update.

Jokapoika

ヴォッコのヨカポイカ

1951年の創設から30年にわたり、マリメッコブランドを築き上げたアルミ・ラティアのもとで、たくさんの有能な若手デザイナーが輝き、革新的なマリメッコファッションとパターンを生み出してきました。ヴォッコ・エスコリン-ヌルメスニエミ(Vuokko Eskolin-Nurmesniemi)もその一人です。
1956年から今も生産され続けているヨカポイカ(Jokapoika)シャツは、2本の手書きのしましまを重ねてプリントすることによって、3色目の新しい色が生まれるという画期的なアイデアから生まれたもの。ヨカポイカとは「すべての少年たち」という意味で、マリメッコ初のユニセックスのファッションでもありました。
当時、多くのファッションブランドは、女性がセクシーに見える、体のラインがわかるドレスをつくっていましたが、ヴォッコ率いるマリメッコはその逆を行きました。「セクシーなのは、洋服でなく、女性そのもの」 マリメッコはパリ、ミラノなどの流行を追わず、性別や年齢を問わないユニセックスファッションを打ち出したのです。
そして1960年、マリメッコに思いもよらぬ出来事が起こります。アメリカ大統領に立候補したジョン・F・ケネディの夫人ジャクリーン・ケネディがマリメッコを訪れ、ヴォッコのドレスを一度に7着も購入したのです!このことが話題となり、「marimekko」の名は世界中に知れ渡ることになりました。パッと花が咲いたように、そのとき、「マリーのドレス」が花ひらいたのです。

写真右は、ヨカポイカ・シャツを着た創業者のアルミ・ラティア。
よくマリメッコの本や歴史を見ていると、ヴォッコ自身がモデルとなって、自分がデザインしたドレスを着ているカタログ写真を目にします。その若き日のヴォッコのカッコイイこと!

Photo by「marimekko」

2013. update.

Tasaraita

アンニッカタサライタ

1960年代、「マリメッコらしさ」をつくり、パイオニア的デザイナーだったヴォッコがマリメッコを去り、その後任として抜擢されたのが、マリメッコの子供服を扱うムクスラ店で働いていた Annika Rimala(アンニッカ・リマラ)です。
1968年に、リーバイスのジーンズに合うシャツとしてアンニッカがデザインしたボーダー柄のTasaraita(タサライタ)は、一大ブームを巻き起こし、シャツだけでなく、靴下、下着、パジャマなど次々にタサライタ・シリーズが生まれていきました。赤ちゃんからお年寄りまで、男性でも女性でも使う人を選ばす、気軽に買えて、日常的に身につけられるもの。
1970年代に爆発的な人気を誇ったタサライタは、フィンランド人のライフスタイルを一変させました。まるでフィンランドの民の衣装のように、誰もがあのボーダーを身にまとうようになったのです。
創立当初から、マリメッコのビジョンを明確にしてきた創業者のアルミ・ラティアはこう語っています。「マリメッコが売っているのは単なる洋服ではありません。ライフスタイルそのものなのです」
北欧の小さな国で生まれた、小さなプリント会社は、フィンランドの人びとから愛される、なくてはならないものに変わりました。マリメッコのファッションは、単なるファッションを超えたのです。むしろ、それは、デザインであり、人びとの暮らしを明るくする、大きなデザインだったのです。

マリメッコ本社へ行くには、ヘルシンキ中央駅からメトロに乗って約15分。ヘルットニエミ(Herttoniemi)駅で下車し、徒歩15分くらい。マリメッコ本社には、大きなショールームやファクトリーショップがあり、プリント工場見学や社員食堂マリトリ(maritori)でランチも楽しめます。そして今もプリント工場のスタッフはタサライタを着て、ファブリックを作っているのだとか。

Photo by「marimekko」

2013. update.

Maija Isola

マイヤ・イソラのウニッコ

マリメッコ伝説のデザイナー、マイヤ・イソラ(Maija Isola)は、1927年にヘルシンキから60キロほど離れたアロランミという美しい村に生まれました。自然豊かな村で2人の姉とのびのび遊んで過ごした幼少時代を経て、マイヤは19 歳のとき、娘のクリスティーナを産み、若くして母になりました。その後、ヘルシンキへ上京し、芸術大学へ進学。織物は苦手で、イラストや絵を描くことの方が楽しかったとか。
1948年、初めて海外を旅したオスロで、マイヤは美術館の古い器や壷に心を奪われました。それをモチーフに「Amfora」というプリントファブリックを作り、母校のコンテストに参加。その作品が、のちにマリメッコの創業者となるアルミ・ラティアの目に留まったのです。
アルミ、そして「マリメッコ」との運命の出会いにより、マイヤはテキスタイルデザイナーとして40年にわたり500以上もの作品を残してきました。その多彩なパターンを生み出すインスピレーションの源は、フォークアート、自然、数えきれないほどの旅だったといいます。
「何を見ても、プリントデザインに見えてしまうの。映画を見ても。雪や氷を見ても。お皿を洗っている時でさえ。でも、いちばん明らかなのは、恋をしているとき」
アルミ・ラティアはマリメッコで、「花」をモチーフにしたプリントデザインを禁止していました。それは、プリントの花は、自然界の花には決して叶わないという理由からでした。でも、マイヤは自分を意思を貫き、子供の頃から大好きな、たくさんの花を描いたのです。
1964年に、ケシの花(ポピー)をモチーフにして生まれたウニッコ(Unikko)。このデザインが、その後のマリメッコにとってどのような存在になるのか、その時は誰もわかりませんでした。マイヤ・イソラにも、アルミ・ラティアにも。大きく花咲くウニッコが、その後どうなったか知っているのは、今を生きる私たちだけなのです。

Photo by「marimekko」

2013. update.

Unikko hot-air balloon

マイヤの自由の旅

▶ YouTube / Marimekko Unikko hot-air balloon flying above the silhouette of Helsinki
ウニッコ(Unikko)を生んだマイヤ・イソラは自由を求めてよく旅に出ました。「最も想像力がかき立てられるのは、自由である時。旅をしている時」
マイヤは、パリ、アルジェリア、アメリカなど世界中を旅しながら仕事を続けました。娘のクリスティーナは、旅先から届くイラスト入りの母の手紙に胸をときめかせていたといいます。休むことなく創作活動を続ける母の背中を見て育ったクリスティーナは、16歳になるとマイヤの仕事の手伝いをするようになり、1968年からはマイヤ・イソラとクリスティーナ・イソラ(Kristina Isola)の2人組デザイナーとして、作品に名前が入るようになりました。
いつも自由であることを望んだマイヤ。それは彼女のテーマであり、生き方だったのです。
「最も大切な自由とは、失敗が許される自由」とマイヤは語ります。「失敗して、すべてを台無しにしてしまえるほどの自由」
1987年、マイヤはマリメッコを引退。カウニスマキの森の中で、ゆったりと平穏な時を過ごしたといいます。その頃にはもう、マイヤのデザインも、ほとんど忘れ去られていました。

1991年、倒産寸前だったマリメッコの新オーナーに就任したキルスティ・パーッカネンが会社を立て直すと、マリメッコには以前のような活気が戻ってきました。パーッカネンがマリメッコを救ったことは、フィンランドそのものを救ったのと同じことでした。それほどまでにマリメッコは、フィンランドの人びとにとって大切な存在だったのです。
マリメッコのもうひとつのロゴといってもいいウニッコは、2000年移行、再びブームに火がつき、世界中の女性をとりこにしました。バッグや傘、スマホケース、トラムや飛行機まで、あらゆるプロダクトにデザインされました。2011年には、なんとヘルシンキの上空をウニッコの熱気球が舞ったのです!(上の動画)

Photo by「marimekko blog」

2013. update.

Fujiwo Ishimoto

石本藤雄のマイセマ

マリメッコ・マリクルマ店の店に大きく飾られていたのは、32年間にわたり日本人テキスタイルデザイナーとして活躍した石本藤雄さんのテキスタイル。牡丹を描いたクーマ(Kuuma)や、カラフルなオストヤッキ(Ostjakki)を見て 、同じ日本人としてとても誇らしくなりました。
1960年代に東京で見たマイヤ・イソラのウニッコ(ポピー)やロッキ(かもめ)に感銘を受た石本さんは、日本で6年間グラフィックデザイナーとして働いたあと、世界一周旅行に旅に出ます。そうして訪れたフィンランドに魅了され、そのまま帰国せず、1970年にマリメッコの子会社ディッセンブレ(Décembre)で働きはじめ、1974年に晴れてマリメッコのテキスタイルデザイナーとなりました。
・marimekko / Fujiwo Ishimoto
石本さんの代表作といえばマイセマ(Maisema)。手書きの線を幾重にも重ねて描いた「風景」という意味の作品は、フィンランドでも長く愛されているそうです。
石本さんは現在、「アラビア」のアート部門で陶芸制作に取り組んでいるとのこと。2013年秋には、日本の故郷・愛媛で、石本藤雄 展「布と遊び、土と遊ぶ」も開かれました。

マリメッコの日本人テキスタイルデザイナーではもう一人、とても気になる女性がいます。2012年のマリメッコ春夏コレクションでTiikeri(虎)を発表した浦 佐和子さん。
・marimekko / Sawako Ura
以前BSで放送された旅番組で、ヴォッコのハッピードレスを着て、ヘルシンキを案内する浦さんの姿がとても印象的でした。マリメッコに行った時は、ぜひ彼女の作品を見つけてみて!それから、浦さんのご主人はヘルシンキで日本料理屋「ほしと」を営んでいます。北欧に行くとやっぱり日本の味が恋しくなるので、今度ヘルシンキに行くときは、和食を食べに「ほしと」に行ってみたいです!

2013. update.

マリメッコ

marimekko

国や世代を超えて、世界中の人に愛されているフィンランドのライフスタイルブランド。
https://www.marimekko.fi

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