北欧フィーカ|フィンランド・ヘルシンキの旅|アラビアファクトリー。フィンランドの器を変えたイッタラとカイ・フランク。|アラビア工場見学|Scandinavian fika.

デンマーク・スウェーデン・フィンランド、北欧デザインの旅。

アラビアファクトリー。イッタラとカイ・フランク。

スオミに愛される、ふたつの器。それは100年以上にも渡り、「いかに美しく暮らすか」の答えを私たちにしめしてくれたもの。
陶磁器ブランドとして誕生したアラビア(ARABIA)と、小さな村のガラス工場からはじまったイッタラ(iittala)。長い歴史と共に、生まれ変わるようにカタチを変え、人びとの暮らしを整えてきた器。そこには「フィンランドの良心」と称されるデザイナー、カイ・フランク(Kaj Franck)の存在がありました。

ヘルシンキを旅するものなら誰もが一度は訪れたいと願う、あのエントツのアラビア工場。
パラティッシ、ティーマ、オリゴ、カステヘルミ、アアルトベース……憧れの器にどんなにときめいても、これは「美しい器」を探しにゆく旅ではありません。「美しい暮らし」を見つけにゆく旅なのです。

□写真左/ 風に揺れると、アテネの教会の鐘のように澄んだ音色を奏でる、カイ・フランクの「アテネの朝」

ARABIA Factory Tour

アラビア ファクトリーツアー

140年の歴史を持つフィンランドを代表する陶磁器ブランド、アラビア(ARABIA)。1873年にヘルシンキ郊外の別荘地に建てられた工場の周辺には、通りごとに世界の都市の名前がつけられていて、アラビア通りに工場があったことから「アラビア」が誕生しました。はじめはスウェーデンのロールストランド(Rörstrand)の子会社として創業したアラビアでしたが、1900年のパリ万博出品作で金賞を受賞し、30年代にはヨーロッパ最大の工場へと成長を遂げます。そして1953年、カイ・フランク(Kaj Franck)が発表したキルタ(kilta)シリーズが、テーブルウェア界に革命を起こすのです。
アラビアミュージアム(Arabian museo)ARABIA・iittala ファクトリーショップがあるアラビア工場へは、ヘルシンキ中央駅から6番・8番トラムに乗って約30分。終点の1つ前「Arabiankatu」で降りると、お馴染みのあのエントツの工場が見えてきます。ARABIAの器の底に刻印されている王冠のようなロゴマーク。実はあれは王冠ではなく、工場のエントツをあらわしているのだそうです。
アラビア陶磁器工場見学、アラビアミュージアム、イッタラブランドの全商品が展示されたショールームを見学できるガイド付きのアラビアファクトリーツアーは要予約制(€40〜)。所要時間は約1時間。ガイドは英語なのですが、アラビアの歴史や作業過程は専門用語が多く、少し難しい解説になるということで、ツアー会社さんが特別に日本語ガイドさんを手配してくれました。旦那さまが日本人だというクリスティーナさん。日本語で案内してくれたから、いろいろ教えてもらえて、すごく良かった!ツアーが終わると、ファクトリーショップで使える割引券ももらえます。

2013. update.

Paratiisi

「楽園」パラティッシ

アラビアの器の中でも世界中の人びとを魅了し、製造中止になる度に何度もよみがえってきたビルガー・カイピアイネン(Birger Kaipiainen)パラティッシ(Paratiisi)。フィンランドを代表するセラミックアーティスト、カイピアイネンが1969年にデザインした「楽園」という名のパラティッシには、リンゴ、プラム、ブドウ、パンジー、クロスグリ(カシス)などの果物や植物がアーティスティックに描かれています。どこか神秘的で叙情的な装飾は、中世ルネッサンスにインスピレーションを受けているといわれています。
アラビアやロールストランドで活躍したカイピアイネンは、1960年にビーズで作った鳥のオブジェ bead-bird でミラノトリエンナーリ・グランプリを受賞。その時から「フィンランド陶芸界のプリンス」と称されるようになりました。食器のデザインよりも、オブジェやセラミックのアートピースを多く残しています。
同じアラビアの器でも、カイ・フランクのキルタのようにシンプルで機能的なデザインとは正反対。カイピアイネンのデザインは、色彩豊かでファンタスティックでゴージャス。そして、ベルギーの王女がパラティッシを見るなり欲しがったというように、女性をとりこにする魅惑の美しさがあります。
アラビア工場見学では、パラティッシの絵付けやティーマをつくる作業過程を見ることができました。ものづくりの現場に触れることは、いつも刺激的で楽しいものです。大きな窯や機械に驚きながらも、やはり最後は、人の手と目でひとつひとつ作られているのだと実感します。アラビアやイッタラの器のことを、もっと深く知りたいという方は工場見学がおすすめです。

2013. update.

iittala outlet Arabia

イッタラとファクトリーショップ

1881年、ガラス吹きのマイスター、ピーター・マグナス・アブラハムッソンによってフィンランドの南部の小さな村にガラス工場が建てられました。「特別の輝きを持つ」として人びとを魅了したガラスの工場は、村の名前をとってイッタラ(iittala)と名付けられました。
のちにティーモ・サルパネーヴァ(Timo Sarpaneva)がデザインした「iittala」のロゴマークの「i」の小文字の頭文字は、ガラス職人がガラスを吹く際に使うパイプと、その先にあるガラスの玉をあらわしているのだとか。
アアルトベースやアイノ・アアルト、カイ・フランクのティーマなど数々の名作を生み出し、フィンランドのテーブルウェア界を支えるブランドとなったイッタラは、2003年よりアラビア、ロールストランド、ハックマン、ボダノバなどの傘下のテーブルウェアを「イッタラ」として統合。現在はすべてイッタラ内のブランドとして生産されています。
アラビア工場に入るとすぐ、ARABIA・iittala ファクトリーショップがあります。フィンランド最大の品揃えを誇るファクトリーショップでのショッピングがお目当ての旅行者も多いはず。おみやげには、歴代のアラビアのロゴがデザインされたアラビア工場限定マグが人気で、赤いタグがついたB級品は20〜30%オフで購入できます。割れものなので買い物は慎重に!と心に決めていたのですが、アアルト自邸に行った後だったので、たまらずアアルトベースを買っちゃいました。
約130年前に創業したイッタラ村(現ハメーンリンナ市)のガラス工場は今も稼働しています。工場の周りには「ガラスの丘」呼ばれる工房村ラシマキ(Lasimäki)があり、工場見学もできるのだとか。イッタラの聖地ともいえるその村にも、いつか訪れたいものです。

2013. update.

Aalto Vase

アアルトベース

1937年のパリ万博で一際輝きを放っていたガラスのオブジェ。フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)が描いたドローイングをもとに、イッタラの工場で製作されたフラワーベース。美しい波のうねりのようなカタチは、万博で大きな反響を呼びました。20世紀のシンボルとまで称された名品には、初めこんな名前が付けられていたといいます。
"Eskimoerinden Skinnbuxa(エスキモーの女性の革のズボン)"
ファクトリーツアーでそのエピソードを聞いた時はビックリしました!今ではアアルトベース(Aalto vase)と呼ばれる美しいガラスの花瓶は、アアルトが設計したヘルシンキのレストラン サヴォイ(Ravintola Savoy)で最初に使われたことから、別名「サヴォイベース」と呼ばれていたことは知っていました。でも、まさか「エスキモーの女性の革のズボン」という名前がついていたとは!
アアルトがあのカタチを何をイメージして描いたかは謎です。本当のことは誰にもわからないのだとか。ただ、フィンランドの湖や海岸線からインスピレーションを受けたという説が強いようです。
今も工場でマウスブローでつくられているため、ガラスの厚みや色の濃淡に一つ一つ個性があるというアアルトベース。部屋の窓辺に飾ったウォーターグリーンのアアルトベースを見ていると、あの情景がよみがえってきます。私にとってそれは、美しいフィンランドの「湖」なのです。

Photo by「iittala」

2013. update.

Kaj Franck

カイ・フランク

「フィンランドデザインの良心」と称されたカイ・フランク(Kaj Franck)。キルタ(kilta)、Teema(ティーマ)、Kartio(カルティオ)……カイ・フランクのデザインした器は、クラシックで保守的だったフィンランドのテーブルウェア界を一変させました。
1911年にヴィーブリ(現ロシア領)で生まれたカイ・フランクは、ヘルシンキの美術工芸大学で家具デザインを学んだあと、1938年にテキスタイルデザイナーに。1945年よりアラビア(ARABIA)に入社し、翌1946年からアートディレクターに就任しました。
第2次世界大戦で敗戦したフィンランド。戦後、生活物資が乏しい中で「いかに清潔に豊かに美しく暮らすか」を模索したカイ・フランクは、1953年、それまでの常識を覆すような器を発表します。過剰な装飾を一切なくし、機能を重視したシンプルなデザインを追求。安価で、長く使え、狭いスペースでも積み重ねて収納できるもの。使いやすさと美しさを兼ね備えたキルタ(kilta)は、その普遍的なデザインでフィンランド人のライフスタイルを大きく変えていったのです。
ファクトリーツアーで見れるショールームには、アテネの朝(Ateenan aamu)という名のガラスのオブジェが展示されていました。ギリシャが好きだったというカイ・フランク。この作品はガラス飾りが風に揺れると、アテネの朝の教会の鐘のような澄んだ音色を奏でます。
ギリシャを旅し、アテネの朝に鐘の音で目覚めるカイ・フランクを思い浮かべると、ほんの少し、「フィンランドの良心」と呼ばれる彼の穏やかな一面が見えた気がしました。

Photo by「iittala」

2013. update.

Kilta to Teema

キルタからティーマへ

1953年に誕生したキルタ(kilta)シリーズはフィンランドだけではなく、国際的にも大きな評価を得ることになりました。しかし、フィンランドの多くの家庭で愛されてきたキルタは、1974年に生産中止となります。これは生産の技術的な問題からで、人びとはそれまでもこれからも、ずっとキルタがある食卓を求めていたのです。
そして1981年、カイ・フランクは廃盤になったキルタをリプロダクトし、新製品を発表します。素材を陶器からよりモダンな磁器に変え、食洗機や電子レンジに対応。時代の生活に見合った器としてフィンランドの食卓に帰ってきた新しいキルタは、ティーマ(Teema)と名付けられました。
「うちは毎朝、ティーマのプレートでパンを食べ、ティーマのボウルでスープを飲んでいます」とツアーガイドのクリスティーナさんに話したら、「フィンランドの家庭もどこも同じ。みんなティーマです」と返ってきました。
(※写真はティーマのお皿やフィスカルス(Fiskars)のハサミを使ったアート作品)
ティーマのミルクピッチャー(ビネガーボトル)の話も面白かった。フィンランドでは厳しい冬を過ごすため、家は二重窓になっているそうです。冷蔵庫がなかった頃は、その冷たい窓と窓の間にミルクを保存できるよう、ボトル型のピッチャーをデザインしたのだとか。
1956年に初めて日本を訪れたカイ・フランクは、日本人の生活の中から生まれた民藝品に深い感銘を受けたといいます。以後来日のたびに日本各地をまわり、民藝のデザイン指導も行っていたそうです。あの森正洋や柳宗理にも大きな影響を与えた人物、カイ・フランク。彼のデザインの美学が、日本の民藝運動の父、柳宗悦の「用の美」と重なってきます。

2013. update.

アラビア

ARABIA

フィンランドを代表する陶磁器ブランド。アラビア工場には、博物館やアウトレットショップがある。
http://www.arabia.fi

イッタラ

iittala

北欧を代表するテーブルウェアの総合ブランド。美しいガラス製品や、ティーマなどの食器が人気。
https://www.iittala.com

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